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神を冒涜する科学⇒神の御業を理解する科学⇒実証論理の科学

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より引用

古代のメソポタミアやギリシアにて展開された数学、天文学、医学、哲学などの学問はローマ帝国が東西に分裂した時点で東ローマにとどまり欧州の根源である西ローマには波及しなかった。理由はギリシア語で残された文献がラテン語を公用語とした西ローマでは価値が理解されなかったことにある。科学などは神の御業に干渉する呪わしき行為として糾弾され書物は炎にくべられた。そして何よりこの地の権力者たちは学問よりも腕力が好きだった。

そのまま中世を迎えた欧州だが、人々は神を讃える傍らでその心は悪魔や吸血鬼への恐怖に病んでいた。疫病、飢饉、天変地異、この世の全ての凶事は悪魔が目論み手先の魔女たちが引き起こすと説かれ、それを退治できるのは高潔な僧侶の祈り、あるいは銀の十字架などとされていた。しかしそれは教会が神の出先機関としてさらなる尊敬と信頼と寄付を集めるために作り上げたいわば虚構、人々の心を支配し教会に縛るものでしかなかった。

逆に東ローマでは学問が好まれ過去の文献も温存された。そしてイスラム教徒に圧される形で東ローマ帝国は領土を徐々に失いやがて消滅するが、この地に残った古代の学問はイスラム教徒たちによってペルシア語やアラビア語に訳され解釈が深められながら注釈がつけられた。さらにウマイヤ朝のあったイベリア半島ではそれらがラテン語に翻訳され徐々に西欧にもたらされる様になった。置き去りにしてきた古代の学問「科学」に欧州はそうして出会ってしまう。そして虚構が傾いた。

数学や天文学や医学という技術の土台となる分野だけをとっても「科学」の魅力を思い知り、そして錬金術に至ってはもう神への冒涜などとは言っていられなくなった。そこで教会は科学と信仰の融合を急いだ。「科学」とは「神の御業」つまり「自然」を神から与えられた理性で「理解」する行為だとする立場を築き、聖書の窓から科学を説くことを試みた。与えられた命題をとことん討論し、論理により真理を導き出すという、教会で培われたこの学問の形式を指してスコラ学という。

欧州各地に大学を開設したのも、スコラ学者を育てたのも修道会のイエズス会であった。神学とともに科学全般を教育した大学では同時に論理学教育にも重きを置き、論理により真理を導き出すという姿勢は教育の中に定着する。そしてそれは大航海時代、イエズス会がキリスト教の布教とともに世界中に大学を創ることで世界基準としてひろまる。    

やがて実験や観察による証拠を論理の根拠とする自然科学の台頭を受け、根拠を信仰にもとめたスコラ学は机上の空論として批判の対象となる。しかし役目を終えたあとで批判されようとそれは大きな問題ではない。重要なのは、信仰に支配されていた中世欧州において科学がスコラ学を通して見事に消化吸収されたという事実、その後の科学と信仰の別居、そして論理によって解き明かされないものは価値がないとする考えが教育を凌駕しその支配が今も続いているという惨劇である。



匿名希望
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