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日航事故② 御巣鷹山上空での日米ソ入り乱れた空中戦の真相

B氏の供述から推定すると、以下のような経緯が浮かび上がる。

’64年青森六ヶ所村で日本で最初の原発が建てられたが、旧陸軍勢力が、現在に至るも原発にしがみついているのは、核武装のためである。六ヶ所村にも地下に軍事工場があり、旧陸軍勢力は’70年頃には既に六ヶ所村で原爆を完成し、次いで’80年頃には神経ガス兵器を完成しているとのことである。また、B氏によれば、日本が核兵器を保有していることは世界の軍事評論家の常識であるとのこと。

ところが、日本ではその実験をおおっぴらにやることはできない。どこで実験するか?
旧陸軍勢力は’85年に、青森六ヶ所村から羽田に原爆材料(イエローケーキ)や固体化した神経ガスを運び込み、羽田から日航機で大阪へ空輸しようとしていた。管理が緩い大阪経由でどこかに空輸しようとしていたに違いない。当時、イラン-イラク戦争の真っ最中で、当時の原爆技術がソ連から供与されていたことと考え合わせると、おそらくはイランへ空輸して、実際の戦争でその威力を実験するという目論みだったと考えられる。

ところが、旧陸軍勢力が青森で原爆を製造していることも、羽田から空輸しようとしていることも米ソは掴んでいた。実際、事変当日の東京上空には米偵察機が飛んでいる。それを見て慌てたソ連も偵察機ミグ25を飛ばしている。まずは、おそらく米戦闘機が日航空輸機をミサイル攻撃し、損傷した日航機が超低空飛行で御巣鷹山上空にたどり着いた所で、日米ソ入り乱れた空中戦が繰り広げられ、何者かによって一瞬で全機撃墜されたらしい。

確かに当時、生存者がいたにもかからわず、日本政府は日航機の墜落場所が特定できないという理由で救援を2日間引き伸ばした。日本中を米軍や自衛隊がレーダーで監視している状況で場所が特定できないはずはない。何故、救助を2日間引き伸ばしたのか? その間に空中戦の証拠となる残骸物を回収しようとしていたらしい。事件当日、自衛隊が怪しげな行動を取っていたことが目撃されている。しかし、全ての残骸を2日間で回収できるはずがないので、現在に至るも尚、御巣鷹山周辺で物証が発見されるのである。一から十まで信じられないような話だが、この物証群は動かし難い事実である

疑問としては、米の最先端のステルス機をふくむ全機を殲滅したのは誰か?どんな武器(技術)なのか?
考えられるのは
①SPY=日本製HAARP兵器によって全機殲滅した。
②至近距離で核弾頭が爆発したので、強力な電磁波によって全機が墜落したという可能性も考えられる。



縄文男児
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