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政治と原子力開発推進政策の源流~50年余にわたって自民党の基本政策となった原発推進と改憲

原発推進の源流を語る上で欠かせないのが中曽根康弘ですが、その時代背景や彼を後押しした勢力について分かりやすく解説されています。

●『原発推進の源流 ◇上◇ 自民党結成期 クーデター的に予算獲得 推進派の中核だった中曽根康弘元首相(当時は野党改進党所属)』(今 言論・表現の自由があぶない!) より
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原発と政治―。東京電力福島第1原子力発電所の重大事故は、政治と原子力開発推進政策の源流を考えざるを得ません。

それは自民党結党期にさかのぼります。1954年3月3日のことです。

衆議院予算委員会は来年度予算案審議は大詰め。一つの予算修正案が突如、提出されました。提出者は自由党、改進党、日本自由党の与野党にまたがる35人。

代表で趣旨説明にたった稲葉修議員は「原子炉の構造については学会にも議論の存するところでありますが、我々はあえて大胆にこの費目を揚げて学会、工業界を刺激するとともに、原子科学による我が国の画期的な産業革命の将来に多大の期待をかけるものであります」。

政府提出の54年度予算案9995億円に対して約2億8千万円の原子力開発予算を盛り込む予算修正提案でした。3党で過半数を上回るため予算修正案は委員会採決を経て、翌4日の衆院本会議で可決、30日後に自然成立しました。

推進派の中核だった中曽根康弘元首相(当時は野党改進党所属)が語っています。「改進党が賛成するかしないかで決まる。これを呑まないと賛成しないという条件を(与党自由党に)付きつけた。採決直前だったから、もう飲まざるを得ないというわけであれよあれよという間に通ってしまった。」(中曽根康弘『天地有情』168㌻)。

日本初の原子力予算でした。原子力開発政策に慎重論を唱える日本学術会議など学者・有識者の警告を無視し、クーデター的に正面突破を図ったというわけです。

折から54年3月1日に静岡県焼津漁港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」が太平洋ビキニ環礁でアメリカの水爆実験の放射能を浴びました。

被ばく事件は第五福竜丸が帰港した3月14日の2日後、「読売」がスクープ記事で報道し世界へ衝撃を広げる、その直前に駆け込み的に原子力開発予算の成立が急がれたのでした。(つづく)
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●『原発推進の源流 (下) ◇改憲派 財界、米の後押しで     民主党政権が、原発政策で自民党路線へ旋回した末に直面したのは東電福島第1原発の重大事故』(今 言論・表現の自由があぶない!) より
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原子力推進の政界の動きを後ろから支えたのは財界、マスメディア、そしてアメリカでした。

最初の原子力予算、同関連立法にかかわった日本自由党の前田正男衆議院議員(のち自民党、科学技術庁長官)が証言を残しています。
「われわれの運動を終始、応援してくれたのが経団連だった。。会合の場所や会合費(昼食費)を世話してもらった。原子力関係では電気事業連合会が支援してくれ、言論界にも全面的にバックアップしてもらった」(『自由民主党史』1987年)電気事業連合会とは電力会社の業界団体です。

中曽根康弘氏、前田氏らは予算に先立って訪米し、アメリカ政府、アメリカ原子力産業会議などから日本における原子力開発を推奨されていました。

原子力開発予算を推進する中核を占めたのは改憲派議員でした。稲葉修氏(最初の原子力予算の趣旨説明を行った)は、のち自民党憲法調査会長として70~80年代の9条改憲論の束ね役でした。中曽根氏は現在も新憲法制定推進議員同盟会長として改憲の旗を振っています。

自民党政権の原発政策は、核武装を排除しない「自主防衛」論=改憲論と結びつく危うさをはらんでいました。原子力開発予算を実現させた保守各党は翌55年、保守合同により自民党を結党。その「政綱」に改憲とともに「原子力振興」を掲げました。

この時期の自民党・鳩山一郎内閣は、原子力委員会設置法、原子炉規制法、原子燃料公社法など一連の原子力推進の立法化を進めました。一方政府内に憲法調査会が設置され、改憲への動きを本格化したのでした。

原発推進と改憲―この二つは、その後50年余にわたって自民党政権の基本政策とされてきました。一年半前の政権交代選挙で民主党は「原子力利用について着実に取り組む」とする一方「独立性の高い原子力安全規制委員会の創設」(『民主党政策集』INDEX2009』)など「安全を最優先にした原子力行政」を掲げました。

ところが、鳩山政権に代わる菅直人政権で策定されたエネルギー基本計画では、原発の積極増設策へ転換を明確にしました。原発政策で自民党路線へ旋回した末に民主党政権が直面したのは東電福島第1原発の重大事故でした。(おわり)
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猛獣王S
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