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原発行政の裏側⑥~学者集団と梅沢三兄弟の巨大な閨閥-4~


『腐蝕の連鎖―薬害と原発にひそむ人脈―』(広瀬 隆 著)~第4章 学者集団と梅沢三兄弟の巨大な閨閥~ リンク よりの引用です。

以下引用
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 日本では、戦争犯罪者が過去の罪をいささかも反省せず、ほとんど追及もされなかったため、彼らが戦後も羽を伸ばし、権威者として君臨することになった。むしろ彼らは、戦争犯罪の追及に牙をむいて反撃するほどである。その"立派な教え"を受けた家庭の中で増長した者が、親から戦時中の利権を受け継いだため、同じような罪を踏襲してきたことは間違いない。

 この審議会や評議会が政策を認知すれば、「責任はそちらに移る」というのが狡猾な官僚の計算であろう。そこにぞろぞろやってくる学識経験者は、中央公害対策"審議会"が発足して、その会長に学術会議会長の和達清夫を据えたように、大学や学会の肩書きをいくつもかかえた人間のことで、彼らは、国から審議会メンバーとして認めてもらえば、さらに肩書が重くなり、年老いて勲章まで約束されるようになる。勲章とは年金のことである。

 つかみあいとなって、テーブルが倒れ、灰皿がとんで、収拾がつかなくなったという話は、日本の審議会では聞いたことはない。たとえ何万人、何百万人の生命が危機にさらされようと、結論が変らないように、結論を変えない穏やかな人間を集めたものが、審議会と評議会だ。穏やかとはいっても、学識経験者や文化人の側にも、はっきりした腹黒い利権の目的があり、官僚と阿吽の呼吸によって、互いにそこで意思の疎通をはかる。裏金が動く。

 代表的な財団法人・地震予知総合研究振興会の評議員メンバーであり、明治40年(1907年)生まれの東大教授・金井清が提唱した金井式によって、日本ではすべての耐震性が計算され、設計されてきた。

 現在使われている金井式は、40年ほど前の金井論文が報告したグラフをもとに組み立てられ、66年に書き直されたものだ。

耐震性の計算の元になる式が、そもそも事実とまるで合致しない、誤った理論にもとづいて成り立っている。きわめて水準の低い学問から出発していながら、それが日本で最高権威となり、この金井式が、原子力発電所の設計に使われているのである。

 96年現在、科学技術庁原子力安全調査室の吉岡賢治は、金井式を使って計算すると、神戸大学工学部で想定される兵庫県南部地震の最大速度は、18.4カインだという。ところが昨年の兵庫県南部地震では、その地点で実測された最大値は、55.1カインであった。実際には、計算値の3倍の揺れが発生したのである。

原発を10基かかえる福島県の大熊町文化センターで、国が主催した「原発の耐震安全性フォーラム」が開かれた。そこにも登場した渡部丹は、住民側からその衆議院会館での重大発言を質問され、さすがに言い逃れをすることができず、「昔のデータを使っている金井式は、早くほかのものに変更すべきだ」と、多くの聴衆を前に発言したのである。これは、共同配信の記事をもとに、全国に報道されている。
 この誤った金井式を使って、日本全国の原発が建設され、六ヶ所村の核燃料サイクル基地が建設され、冒頭に述べたように、いよいよ全国の使用ずみ燃料が、危険なプールに持ち込まれようとしている。これが、96年末現在の状況である。

 大崎順彦は、この財団名簿では、大崎総合研究所・社長となっているが、渡部丹が清水建設専務取締役だったのと同じく、清水建設副社長の履歴がある。そして、彼が開発した大崎スペクトルと呼ばれる地震動の解析法が、原子力発電所の建設で使われてきた。このスペクトル解析がまた、兵庫県南部地震で証明されたように、まったく現実に合わなかったため、全国で原発の不安がいっそう高まる原因となっているのである。

今から30年ほど前のその時代には、まだ全世界でプレート説が知られていなかった。プレート説が認知されるようになったのは、新潟地震から数年後、69年ごろである。ましてや日本では、その後もほとんどの地震学者がプレート説を無視した。「日本は地震国であるので、地震学は世界一である。アメリカやヨーロッパの素人学者に何が分かるか。地震は、火山活動によって起こるのである」と主張し、日本の多くの地震学者は、地球上で日々進歩する科学を採り入れなかった。

 このような日本の地震学者の傲慢さは、やがて、世界の各地で大地震が発生してプレート説が着実に証明されるたびに、ひっくり返された。

 特に日本では、直下型地震の精密なデータが得られたのは、95年1月17日、兵庫県南部地震(阪神大震災)が初めてだったのである。その貴重なデータでさえ、渡部丹たち検討会の委員が、強引に「原発は安全」の結論を出すためのものに変り果ててしまった。
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以上、引用終り





佐藤祥司
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プーチン大統領の広島・長崎訪問は可能か? © AFP 2016/ JIJI Press
オピニオン
2016年09月18日 20:39(アップデート 2016年09月19日 03:37)

 http://sptnkne.ws/ckTS


9月15日に明らかになったところでは、広島及び長崎の市当局は、プーチン大統領に対し、両市を訪れるよう要請した。

米国による原爆投下により大きな被害を受けた場所への大統領の訪問は、どのような場合でも、画期的な出来事となり、ロ日関係にとってのみならず、ロ米関係にとっても大きな政治的意味合いを持つものになるだろう。

プーチン大統領と安倍首相
© SPUTNIK/ MICHAEL KLIMENTYEV
長崎市長「プーチン大統領訪問、実現すれば歓迎」


ロシア科学アカデミー極東研究所日本調査センターのヴィクトル・パヴリャテンコ主任研究員は、情報通信社「エコノミカ・セヴォードニャ」の取材に応じ「今回の招待は、1945年に米国人達がどれだけ野蛮な行為をしたかを強調しようとする日本政府の試みだ」と指摘した。
パヴリャテンコ主任研究員は「このプランにより、プーチン大統領は、今年のG7伊勢志摩サミットの際、広島だけを訪れた米国のオバマ大統領を『凌ぐ』ことになるに違いない」と見ている。

主任研究員は、次のように述べた-「ロシアにとってプーチン大統領の広島・長崎訪問には、何らかの特別な意味がないことは明らかだ。なぜなら我が国は、これまで70年間ずっと、これら米国の原爆投下を非難してきたからだ。この問題に関するロシアの立場は、首尾一貫しており、皆が良く知っている。ここではロシアは常に、日本の側に立ってきた。ゆえに、プーチン大統領がそうした訪問をしても、何も新しいものはないだろう。」

パヴリャテンコ主任研究員によれば、この歴史の中に、裏に隠された一定の意味を見つけることができるというのは、また別の問題である。あの戦争で同盟国だった米国を、ロシアが非難し、当時戦っていた日本の側に立つことになるからだ。研究員は、次のように続けた-

核大国になるため憲法をどう解釈すべきか
© AFP 2016/ TOSHIFUMI KITAMURA
「核兵器は大分前から少なくとも沖縄に存在している」―日本学者


「これは、日本と政治的に接近しているというデモンストレーションだ。モスクワの側からではなく、むしろ日本側からの一歩である。ここで日本人達は、自分達の路線を続けている。それは、彼らがウラジオストクでの第2回東方経済フォーラムで示したもので、その時、日本政府は、ロシア政府との関係発展を目指す意向を示した。そもそも日本のロシア政策の中には、大変多くの様々なデモンストレーションがあったが、今のところ、それは、何らかの実際的成果をもたらしてはいない。」
それゆえ、パヴリャテンコ主任研究員によれば、今日、大変深刻な疑いが存在している。プーチン大統領は、議論の余地ある措置に踏み出すだろうか、まして訪問は、オバマ氏の行動に似ているとの類推をすぐに呼び起こすのではないのかというものだ。

最後に、ペスコフ大統領報道官の発言に注意を促したいと思う。彼は、日本側からプーチン大統領あてに送られた広島・長崎両市訪問の招待状は、現在、外交ルートで調整がなされていると述べている。

なお記事の中で述べられている見解は、必ずしも編集部の立場とは一致していません。

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豊岳正彦
18:16 18.09.2016 | 編集する | カットする


我々日本人仏教徒庶民のご先祖様関行男(せきつらお)大尉敷島隊隊長が身を捨てて護ろうとした「母なる大地KA」が住む日本国本土防衛の最前線沖縄県、

平和を愛する多くの老若男女善男善女仏教徒沖縄県民の我々のご先祖様が戦争で命を落とした沖縄県へも、

プーチン大統領には是非訪れて頂きたい。




豊岳正彦
00:08 19.09.2016 | 編集する | カットする


「決定版 昭和史」第11巻(毎日新聞社1983年発行)p176,177に、関行男せきゆきお大尉(愛媛県生まれ)と同い年のシナリオライター須崎勝彌氏(鹿児島県生まれ)が綴った文章が掲載されている。全文タイプする。

関行男と神風特攻隊 ”KAのために死ぬ”

”軍神”にされた特攻第一号

 私が神風しんぷう特別攻撃隊の最初の指揮官であった海軍大尉関行男せきゆきおの名を知ったのは、大分県の宇佐海軍航空隊にいたときである。そのころ、私はいわゆる学徒出陣組の第一四期海軍飛行予備学生の一員として、艦上攻撃機の操縦訓練を受けていた。

 特攻第一号として軍神になった関行男の名は、そのつど戦意高揚の場に引き出された。軍神とは、初めからそのためにつくられるものである。彼にも人間くさい愛すべき欠陥があったであろうに、彼本来の人となりはすべて覆いかくされて、全身全霊これ闘魂、至誠至忠の武人の鑑とされてしまった。それに加えて、わが宇佐航空隊では飛行隊長のY大尉が私たちの前で言葉を荒立てた。

「関は兵学校で俺の後輩だ。特攻に出て行けるのは兵学校を出た士官だけである。先日士官室で貴様たちの先輩(宇佐にいた一〇期から一三期までの予備士官のこと)に特攻志願の有無を問うたところ一瞬躊躇した野郎がいる!」

 これで私たちが関大尉へ寄せていた敬愛の情もぷっつり切れてしまった。しかしこっちには生きているという弱みがある。関行男の名はその後も私たちに、のしかかるような重圧を加え続けた。

 明けて昭和二十年、桜の開花に時を合わせて宇佐航空隊が保有する艦攻艦爆の全機が特攻機となって沖縄海域へ投入されることになった。そのとき私たちの仲間の某少尉が士官室にどなり込んだ。

「とかなんとか言いやがって、みろ!出て行く者出て行く者、予備士官ばっかりじゃないか!」

 彼の、死地におもむく学徒出陣の仲間への痛惜の想いが、司令以下の全士官を沈黙させた。このときかぎり私たちにのしかかっていた関行男の重圧は消えた。



人間としての関行男

 戦後二〇年ほどしてから、学徒出陣の同期のT君が語ってくれたことがある。昭和一九年の九月に彼は要務士(情報将校)として単身フィリピンに赴任するので、追浜(おっぱま)の大日本航空の待合室で飛行艇の出発便を待っていた。

 そのときT君は海軍大尉の襟章をつけた士官と向かい合って座った。士官の隣には若く美しい婦人が慎ましげに座っていた。二人はまったく口をきかないし、二人の間の距離からしても、T君は彼等はお互いに他人であると判断した。

やがて拡声器から、天候不良のため出発を明日に延期するという情報が伝達されると、大尉が立ち上がった。一瞬遅れて婦人も立ち上がった。そして二人は抱擁せんばかりに手を取り合い、大尉のほうが先に声をかけた。

「よかったね」

「ええ」

 大尉を見上げる婦人の顔はたくまずして美しかった。二人は夫婦だったのだ。思いがけず拾った一日という時間をさも大事そうに、二人はゆっくりと待合室を出て行った。

 翌日飛行艇の中で、T君が台南航空隊に赴任するというその大尉と交換した名刺には、関行男の名が印刷されていた。


 T君が語ってくれた一場面を加えることで関行男のイメージはがらりと変わる。変わって私はほっとした。戦時中の軍神のまま凍り付いていた関行男に体温を感じたからである。

 神風特別攻撃隊とは、善くも悪くも日本が君主国から民主国へ脱皮するための痛みであった。これを抹消することは昭和史の落丁を意味する。だから特攻第一号の関行男の生と死の態様をおろそかにはできない。




最愛の者のために死ぬんだ

 神風特別攻撃隊の最初の指揮官は志願ではない。指名であったことは当時のすべての記録が一致している。指名する立場からすると技量の優れたパイロットを一回こっきりの特攻で殺すのはもったいない。そこには明確な用兵上の論理がある。

 では指名された関はどういうパイロットだったのか。彼はもともと戦闘機乗りではない。艦爆の操縦員である。それがなぜ特攻作戦が始まるわずか一ヶ月前に台南航空隊を経て、フィリピンに展開中の二〇一航空隊に転勤してきたのか。それも戦闘機隊の分隊長として。それまでに彼は零戦の操縦訓練を受けたことがあるのだろうか。戦闘機乗りとしてみるかぎり、関は殺すには惜しいベテランパイロットではない。


 深夜突然に指名を受けたとき、関は両肘を机の上について、オールバックにした長髪の頭を両手で抱えて沈黙した。それはだれが見ても激しい迷いの姿である。やがて関は答えたという。そのときの関の言葉は語る者によってまちまちだ。ある者は、

「ぜひ私にやらせてください」と言ったといい、ある者は、

「承知しました」と言ったという。


 すでに追浜の待合室の場面を知っている読者なら、どちらが関の真実の言葉であったか判断してくださると思う。

 関は新聞記者の報道班員に言い残している。

「僕には体当たりしなくても敵空母に五〇番(五〇〇キロ爆弾)を命中させる自信がある。日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんてね」

 特攻隊に先入観を持つ人は奇異に感じるかもしれないが、かつての日本海軍にはこの程度のことを言う言論の自由は最後まであったように思う。そしてこれらの言葉は関の迷いやぐちを述べたものではない。死の決意を固めるための逆噴射として聞くべきであろう。さらに関は言っている。

「僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。

KA(海軍の隠語で女房のこと)を護るために行くんだ。

最愛の者のために死ぬ。

どうだ、すばらしいだろう」


 この言葉を宇佐航空隊のY大尉が聞いていたら、彼はわれわれ予備士官の前で、関は兵学校の俺の後輩だと力むこともしなかっただろう。逆にわれわれが聞いていたとしたら、関に海軍士官としてのマイナスイメージを抱くことは絶対になかっただろうし、かえって敬愛の情を深めたと思う。

 関は霞ヶ浦で練習機の教官をしていた頃、異様な激しさで飛行学生を修正(鉄拳制裁)したという。内向的な男が外向的であることを求められる軍隊という組織の中で自己改革を試みるとき、そういう態度に出る例を私もいくつか見てきた。関はあえて他人から嫌われることで自分を鍛えようとしたふしがある。戦時中の軍人には許されるとしても、それは人間としてまっとうな生き方ではない。

 そんな時期に関は熱烈な恋愛をした。関は夫人となった満里子さんによって救われたといっていい。だから関は満里子さんへの感謝をこめて言ったのだ。

「最愛の者のために死ぬ。

どうだ、すばらしいだろう」




死に追いたてられた四度目の出撃

 神風特別攻撃隊の任務は、戦艦大和以下の艦隊がフィリピン群島を西から東に抜けてレイテへ突入するのを助けることだった。艦隊の突入は十月二十五日、関たちはそれまでに敵空母群を撃滅しなければならなかった。しかし関の率いる爆装零戦五機は出撃するたびに目標を発見できず、三度出て三度帰った。これでは艦隊との連携作戦がかみ合わない。

 司令部はいら立った。関への不信と疑惑が深まらないはずはない。最初の出撃の時は期せずして見送る隊員たちの間から”海征(ゆ)かば”の大合唱が起こったという。二度目はどうだったろう。そして三度目は。連携作戦ぎりぎりの十月二十五日、関は四度目の出撃にあたって言われた。

「もう帰ってくるな」

 たとえ攻撃目標を発見できなくても死んでこいということだ。体当たりと死は不可分のものと信じたからこそ関は恥をしのんで再起三起をはかった。しかし死は戦果とは無関係に独立して関を縛った。


 関は四度マバラカット基地を離陸した。そして護送空母セント・ローの甲板に二五〇キロ爆弾もろともその若い肉体を砕いた。文字どおり一機一艦を葬ったとなると、これにかぎるとばかりその後の日本海軍は特攻に明け暮れた。それはもはや関の関知するところではない。





 昭和三年四月一日にさかのぼる。関は愛媛県西条の小学校に入学した。同じ日に私も鹿児島の田舎の小学校に入学した。その年の日本の一年生の男の子たちは、後に戦争で大きな被害を受ける殉難の世代となった。神風特別攻撃隊の魁(さきがけ)となった関はその象徴といえよう。生き残った者は同世代の死者に対して鎮魂の言葉を持たなくてはなるまい。

「君たちの命が若くして失われたためにできたわが世代の陥没は、永久に埋まることはない。

わが世代が迫力を欠くとしたら、そのゆえである」

              (了)




遺書
検閲のため表向きに書いたと思われる箇所を()内に収めた。身内への遺書に教え子宛があるのは不自然ゆえ。



父上様、母上様  西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。

(今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐることはありません。)  

鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いる事も出来ず征く事を、御許し下さいませ。
 (本日、帝国の為、身を以て母艦に体当たりを行ひ、君恩に報ずる覚悟です。)
皆様御体大切に

満里子殿  何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る  何も言はずとも 武人の妻の覚悟は十分出来ている事と思ふ 

御両親様に孝養を専一と心掛け生活して行く様  色々と思出をたどりながら出発前に記す  

恵美ちゃん坊主も元気でやれ

(教へ子へ  教へ子よ散れ山桜此の如くに)

注釈
^ 戸籍と親族の証言によれば、名前の読みは「ゆきお」である。
一方、小沢孝公は関から「おれの名前のツラオというのは、おれの親爺さんが、楠正行(まさつら)の一字をとって、おれがりっぱに国に御奉公できるようにと考えてつけてくれたんだ」と聞いたという


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