忍者ブログ

上辺のイデオロギーは単なる方便

>福島原発の対応についての東電や政府に対する批判も同じ事が言えたのではないかと思う。東電や政府の対応は、心のどこかに自分たちの社会的立場を守りたいという気持ちが表れた対応に思えた。

私も同様の感覚を抱きました。

今回の対応における象徴的な言葉が「想定外」という表現。
この「想定外」という言葉には、当然、前提となる「想定」が存在します。原発を計画する際、歴史的な津波や地震等、どこまでを想定の範囲に入れるかという「判断」を下しているわけです。
つまり、計画の際に意図的に想定範囲を狭める判断を下していたということになります。原子力を利用する以上、あらゆる想定に基づく安全性の確保が求められるわけですが、これが、何らかの意図の下に安全性の確保が軽んじられた。この意図の中心は、現在わかっている事実から判断するに、己の利権ということになるでしょう。ここに一つ目の問題があります。(この点では、経済戦略も同様でしょう。)

また、並行して放射線に関する各種の規準も設定しています。その中では、安全であるとする基準値の他に、事故対応なども定められています。今回は想定に基づいていたはずの、このマニュアル及び数値基準でさえ、対応の過程で完全に無視されたということが起こっています。(参考:リンク)
これでは、何のためにマニュアルをつくったのかすら疑われ、相当数の人命が危険に晒されるような状況になってもなお、頭の中は己の立場=利権でいっぱいだったということを示しています。そもそもイデオロギーというような立派なものではなく、単なる自己中心性に基づく上辺の言葉だったことを如実に表しています。
これは、指導者以前に一人の人間として人格が疑われるほどの有様です。

政府も東電も、この期に及んで責任の押し付け合いを未だに続けています。また、マスコミも混乱を避けるためという名目の下に、政府や東電に気を使って事実が報道されない状況は相変わらずです。

そうこうしている間にも、福島原発では新たな異変が起こり、世界でも大きな動きを感じさせる事件があるなど、予断を許さない状況が続いています。特権階級にまかせるのではなく、でき得る限りの事実を集め、主体的に考えていく必要はますます高まっていると感じます。





dou
PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

ランキング

にほんブログ村 環境ブログへ お勧めサイトランキングへ

カウンター

カレンダー

05 2017/06 07
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
12 13 14 17
19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

バーコード

ブログ内検索

P R