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ヒロシマからフクシマヘ:米軍と原子力ムラに取り込まれていった日本の科学者集団

日本には、原爆投下されて以来の放射能への科学的な蓄積を持っているはずだ。しかしそのような知見は日本の学者からはほとんど聞こえてこない。出てくるのは原子力ムラの一員としての“安全神話”ばかり。
・・・なぜなのか?がこの本を読むとよく分かる。

ヒロシマで戦後米軍の原爆調査に協力した日本の医学者・科学者たちが、原爆放射線影響調査に関与、そこから原子力ムラの中核をなしていった。そこには七三一部隊のレントゲン班長だった医学者も参加していた。

彼らは、米軍に協力し、戦争の責任を逃れると共に、戦後の医学会・原子力を牛耳る利権集団を形成していった。

ヒロシマからフクシマへリンク より一部抜粋引用
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連絡協議会の重要人物を中心に、広島・長崎の原爆調査や第五福龍丸事件以降の放射能影響調査に参加した科学者、医学者の有力な部分は、戦後の米国主導の核戦略・原子力推進体制をサポートし、結果的に国民には「受忍」を強いる有識者集団を形成していった。

 「原爆症調査研究協議会」は、一九五三年一一月、広島・長崎の被爆者の原爆後遺症の治療方法究明のために設置された連絡組織だった。事務局は、広島と長崎にある米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)にそれぞれ支所(原子爆弾研究所)を置き、連携していた国立予防衛生研究所内にあり、米国の原爆の人体影響研究の補完を前提としていた。第五福龍丸事件以降は拡充され、臨床小委員会は国立東京第一病院や、東大医学部の若手の医師によって補強され、乗組員の治療、放射性降下物による環境や農・水産物の汚染調査にあたっていた。

 「原爆症調査研究協議会」は、折から始まった国家の原子力事業推進体制と結びついた。特に、後継の「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」や併設された日本学術会議放射線影響調査特別委員会は、一九五五年以降の原子力委員会や日本原子力研究所、原子力産業会議、放射線審議会、原子力安全委員会の役員等、原子力行政に関わる人物を数多く輩出した。今日の「原子力ムラ」の源流となる組織のひとつだった。

広島・長崎の原爆調査のための「文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会」に参加した古株の科学者らも原子力事業との連携に活路を見いだした。一九四五年八月八日に技術院の広島の調査に参加した松前重義は、一九五五年には社会党右派の衆議院議員として、与党議員とともに原子力合同委員会を立ち上げ、原子力基本法を成立させた。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会電力通信科会長だった瀬藤象二は、一九五六年、原子力委員会専門委員、原子力委員会参与に任命され、後に日本原子力事業株式会社会長に就任した。

こうして、被爆や放射線障害の実相を誰よりも科学的に理解し、原水爆禁止や死の灰の恐怖を訴えていた科学者、医学者たちは、実験用原子炉建設、アイソトープの活用などを入り口にして、内部被曝、低線量被曝の問題から目をそらしはじめ、原子力行政、原子力関連産業の利益共同体に取り込まれていった。
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(引用以上)

アメリカは、元々日本への原爆投下を実験とも考えていた。その実験効果の調査が日本における原爆調査である。それらに協力した科学者や医師がどれだけ屈折した人物たちなのか想像してしまう。少なくとも国民を想ってはいないだろう。
彼らが原子力ムラや現在の医学界の頂点をも形成している。彼らはフクシマをも実験と考えているのではないかとさえ思うフシがある。

また731部隊のレントゲン班は、あらゆるレントゲン照射の人体実験を行っていたというが、その危険性を十分知りつつ、利権拡大のために現在の医学に応用したのではないか?

※これらは、アメリカ発エイズを持ち込んだミドリ十字の体質とも重なってくる。
参考:アメリカと731部隊と国立予防衛生研究所とミドリ十字:リンク


井上宏
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