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チェルノブイリだってまだ終わっていない

チェルノブイリ原子力発電所事故
1986年4月26日
ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所

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4号炉の試験運転中の事故だった。核分裂の制御に失敗し、出力が急上昇。(実験のための特別な運転で予定外の事態が起きたが、実験を中止せずに誤った判断を重ねていったことが、ひどい惨事につながった。)爆発により原子炉と建屋は破壊され、炎上。これが、放射能の拡散と汚染を促進することになる。

被害は国内にとどまらず、隣国にも拡大。事故の1週間後くらいには、日本でも雨水から放射能物質が検出されるなど、その拡散範囲は広大だった。放射能物質の量は、広島に投下された原子爆弾(リトルボーイ)の500倍と言われている。

ソ連は、スウェーデンで放射性物質が検出されるまで事故を公表しなかった。(公表されたのは事故2日後。)

事故当日に即死した原発職員などは3000人とも言われている。また火災を消化するのに集まった消防士は200人。そのうちすぐ死亡した者、急性放射線障害を負う者も多かった。事後処理(燃料や黒鉛の片付け・石棺の建設)にたずさわった者は60~80万人。(召集された事故処理従事者が、その作業に対する危険性に無知だった。)彼らは放射能を浴びた瓦礫の処理などを手作業で行った。その間とても強い放射能を身体に浴び、重い火傷、脱毛、発疹、ガンや白血病などを患い、死亡に至る者も多数。あまりにひどく被曝していたため、彼らの遺体は鉛の棺に埋葬されることもあるほど。チェルノブイリ原発事故での長期的観点から見ての死者数は、数百人とも数十万人とも言われており、周辺地域にも、幼児・小児の甲状腺癌の発生が増えるなどの影響が出ている。また、放射能を恐れることによる精神的ストレスも甚大だった。

事故直後には12万人が避難したが、事故の3年後に高汚染地が明らかになり(飛び地的に存在)、25万人がさらに移住を余儀なくされた。汚染を恐れ、自主的に移住した人も含めると、計40~50万人が住みなれた土地を離れることとなった。現在でも、1万平方Km(福井県・京都・大阪府を合わせた面積)が立入禁止区域となっている。

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放射能物質拡散の防止策としての建設されたのが「石棺」(コンクリートの建造物)だが、これは応急処置にすぎず、その耐用年数は30年とされている。石棺の老朽化、湿気による腐食も進むが、その対策は様々な方法が議論されるものの、いずれも実行には至っていない状況。また、大量の雨水が石棺の中に流れ込むため、原子炉内部を通って放射能が周辺の土壌に拡散していっている。

事故当時原子炉にあった燃料はなくなったわけではなく、その95%がこの石棺の中に閉じ込められているだけの状態。少なく見積もって4Tの放射性物質、1800万キュリーの放射能が、事故のあったチェルノブイリの4号炉にはまだ残っているという。




カ-リ-
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