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タバコ悪玉論には、目先収束としての健康志向が被さっている!?

2003年5月の健康増進法第25条の受動喫煙防止の規定に続いて、WHO(世界保健機関)の“健康志向”が反映された「タバコ規制枠組み条約(Framework Convention on Tobacco Control)」により、今後さらにタバコに対する規制は厳しくなっていきそうだ。
(http://www.janjan.jp/world/0412/0412031263/1.php)
この条約に(日本を除いて)タバコ輸出入の上位国(アメリカ・イギリスなど)の多くが未だ批准に至っていない点も興味深いが、今回は“健康志向”の視点で考えてみたい。

タバコ悪玉論と健康ブームは、何か関係があるのだろうか?

まず、タバコ悪玉論が社会共認される基盤は、
「‘70序列原理から共認原理へパラダイム転換」


この基盤を背景に、行き過ぎたタバコ悪玉論について誰もおかしいと言うどころか、“タバコは健康に良くない”と、とりあえず賛同します。
そして、“タバコ”と名が付くだけで、事実無き批判、マナー問題への“摩り替え”に人々の意識を向かわせます。
しかし、‘70年の序列原理の崩壊により生じた私権要求(反差別、人権、ウーマンリブ等)とは違い、‘02年私益追求の断念により私権統合が崩壊過程にあるなかで、“なぜ、一部の私権要求であるタバコ悪玉論が強く社会共認されるのだろう?”

>目先の無難収束としての健康ブーム>を参考にすれば
収束不全で活力が生じず拠り所となる生き方が見えない。
また、環境破壊、肉体破壊の危機感も高まっている。
→とりあえず肉体的には健康でいなくてはならない(不安解消の目先収束)
→自分の健康は自分で責任をもたなければならない。
→でもどうしたら健康でいられるのだろう?「何か拠り所が欲しい」
→タバコは単純に健康に良くない。
→禁煙が広まれば健康でいられる
こんな図式なのだろうか。

タバコ悪玉論の出発および本質は、>嫌煙運動は、有害性の事実を出発点にしたのではなく、「私権意識、宗教、近代思想」>であり、「事実追求の無い価値観念の洗脳」による社会共認が形成されることだと思っていますが、

タバコ悪玉論に単純に人々が共鳴する今の風潮は、 “収束不全からくる目先収束としての健康志向”が被さっているのかもしれない。

であれば、“目先収束である健康志向をわかり易く具現化するタバコ悪玉論”は、事実の認識収束へ向かっている人々の意識を妨害し、私権派の残党を延命させる風潮ではないだろうか。

麻丘東出
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