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みえない雲の向こうに視るべきもの③~原子炉事故の大変な被害は当初から分かっていた

続きです。
『みえない雲の向こうに視るべきもの』(<小出裕章>こいで・ひろあき:京都大学原子炉実験所)より転載します。
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Ⅳ.みえないものを視る

●もとから分かっていた危険

原子炉が事故を起こせば大変な被害が出ることは原子力開発の当初から分かっていました。特に、原子力を設置しようとする会社にとっては、事故を起こしてしまった時の補償問題をどうするかが決定的に重要でした。世界の原子力開発を牽引してきた米国では、初の原子力発電所の稼働を前にして、原子力発電所の大事故がどのような災害を引き起こすか、原子力委員会(AEC)が詳細な検討を行いました。その検討結果は、「大型原子力発電所の大事故の理論的可能性と影響」("Theoretical Possibilities and Consequences of Major Accidents in Large Nuclear Power Plants", WASH-740)として、1957年3月に公表されました。この研究では、熱出力50万kW(電気出力では約17万kW)の原子力発電所が対象にされ、その結論には以下のように記されています。

「最悪の場合、3400人の死者、4万3000人の障害者が生まれる」
「15マイル(24キロメートル)離れた地点で死者が生じうるし、45マイル(72キロメートル)離れた地点でも放射線障害が生じる」
「核分裂生成物による土地の汚染は、最大で70億ドルの財産損害を生じる」

70億ドルを当時の為替レート(1ドル当たり360円)で換算すれば、2兆5000億円です。その年の日本の一般会計歳出合計額は1兆2000億円でしかありませんから、原子力発電所の事故がいかに破局的か理解できます。当然、個々の電気事業者がこのような損害を補償できる道理もなく、米国議会では直ちに原子力発電所大事故時の損害賠償制度が審議され、9月にはプライス・アンダーソン法が成立、1957年12月18日のシッピングポート原子力発電所(電気出力6万kW)の運転開始を迎えたのでした。
日本でも、日本原子力産業会議が科学技術庁の委託を受け、WASH-740を真似て、日本で原子力発電所の大事故が起きた場合の損害評価の試算を行いました。その結果は、1960年に「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」としてまとめられましたが、その結果がWASH-740と同様に破局的なものであったため秘密扱いとされてしまいました。それでも、電力会社を原子力開発に引き込むためには、どうしても法的な保護を与えねばならず、大事故時には国家が援助する旨の原子力損害賠償法を1961年に制定したのでした。

●都会に建てられなかった原発

それでも、巨大事故が怖い彼らが次にやったことは、原子力発電所は都会に作らないことでした。7月16日に事故を起こした柏崎・刈羽原発(7基、821万kW)は東京電力の原発ですが、それは新潟県にあり、東北電力の給電範囲です。東電は他に、福島第1原発(6基、470万kW)、福島第2原発(4基、440万kW)を持っていますが、それらもまた東北電力の給電範囲です。東電は、自分の給電範囲に原発だけは作ることができなかったのでした。

関西電力も同じです。11基(980万kW)の原発を福井県若狭湾に林立させ、長大な送電線を敷いて、関西圏に電気を送ってきたのでした。そこは例外的に関西電力の給電範囲になっている地域ではありますが、もともと関西圏ではなく北陸地方です。

●日本の遅れた核=原子力技術

日本は第二次世界戦争で負け、日本を占領した米軍はまず第一に日本国内の核=原子力研究施設を破壊して回りました。日本の原子力(核)研究が許されるようになったのは、1952年のサンフランシスコ講話条約が締結された後で、幸か不幸か、核=原子力に関する限り日本の技術レベルは欧米諸国に比べて大幅に遅れてしまいました。そのため日本では一番はじめの原子力発電所(東海1号)を英国から、その後の原子力発電所を米国から輸入しました。ところが1979年に米国スリーマイルアイランド原子力発電所(TMI)が事故を起こした時には、「米国の運転員は質が低い」とか、些細な型の違いを強調して「型が違う」と言い張りました。1986年にチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きた時には、「ロシア人は馬鹿で、日本人は優秀だ」「ロシア型は日本が使っている米国型と型が違う」と言って、日本の原子力発電所だけはいついかなる時も安全であると言い続けました。
しかし、日本でも信じられないような事故が続いてきました。1995末には、高速増殖炉「もんじゅ」が試運転開始直後、出力が定格出力の40%に達した時点で事故を起こしました。1997年には、東海再処理工場が爆発事故を起こして、周辺に放射能をまき散らしました。そして1999年には核燃料加工工場JCOが、最低限の注意さえしていれば防げたはずの臨界事故を起こし、2人の労働者が悲惨な死を強いられました。日本国内では当初驚きを持って迎えられたその事故は、海外では「やはり日本だから起きた事故」と言われていたのでした。さらに、2001年には浜岡原発1号炉で非常用炉心冷却系の配管が水素爆発と思われる爆発で砕け散りました。2004年には、美浜3号炉で2次系の配管が大破断し、5名の労働者が熱水を浴びて死にました。
慢心は常に人の心に忍び込みやすいものです。「日本人は優秀だ」「日本の原子力技術は進んでいる」「日本の原子力発電所だけは安全だ」という宣伝は、国や電力会社の積極的な宣伝も手伝って、いつしか日本人の心深くに住みつきました。しかし「神国日本」が戦争に負けたように、「大和魂」では戦争に勝てなかったように、事実は冷徹に進行します。ましてや日本は原子力技術後進国です。これまで日本の原子力安全委員会は根拠のない安全宣伝を繰り返し、「原子力安全宣伝委員会」と呼ばれました。その安全委員会もJCO事故後、2000年度の「原子力安全白書」では以下のように述べました。

多くの原子力関係者が「原子力は絶対に安全」などという考えを実際には有していないにもかかわらず、こうした誤った「安全神話」がなぜ作られたのだろうか。その理由としては以下のような要因が考えられる。
・外の分野に比べて高い安全性を求める設計への過剰な信頼
・長期間にわたり人命に関わる事故が発生しなかった安全の実績に対する過信
・過去の事故経験の風化
・原子力施設立地促進のためのPA(パブリックアクセプタンス=公衆による受容)活動のわかりやすさの追求
・絶対的安全への願望

しかし、原子力安全委員会は本当は何の反省もしていません。彼らは未だに、日本の原発では8~10㎞範囲を超えて被害が出るような事故は起こらないと言い続けています。
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続く


猛獣王S
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