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みえない雲の向こうに視るべきもの②~悲劇のチェルノブイリ事故

続きです。
『みえない雲の向こうに視るべきもの』(<小出裕章>こいで・ひろあき:京都大学原子炉実験所)より転載します。
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Ⅲ.悲劇のチェルノブイリ事故

●原子力発電所が生み出す死の灰の量は厖大

今から62年前の夏、米国は女性や子供を含めたたくさんの非戦闘員が生活していた街に原爆を落としました。広島や長崎の街は一瞬に壊滅し、短期間に10万人の人々が筆舌に尽くしがたい苦痛のうちに命を奪われました。かろうじて生き延びた人たちも「ヒバクシャ」というレッテルを貼られて、苦痛に満ちた人生を背負いました。広島原爆で燃えたウランは800g、長崎原爆で燃えたプルトニウムは1100gでした。一方、今日では標準となった100万kWの原子力発電所の場合、1年間の運転で約1000kg、広島や長崎の原爆で燃えたウランやプルトニウムに比べて約1000倍のウランを燃やします。当然、燃えた分だけの死の灰ができます。

●チェルノブイリ事故

それほどの危険物を内包した原子力発電所が大事故を起こした場合どのような被害が起きるかは、事実が教えてくれました。旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所で1986年4月26日、事故が起きたからです。ソ連きっての最新鋭の原子力発電所だったチェルノブイリ4号炉は、出力100万kWで1984年3月から運転されていました。ほぼ丸2年間運転し、炉心に広島原爆2600発分の死の灰を抱えた状態で事故が発生しました。主要な放射性核種であるセシウム137を尺度にして測ると、その事故では炉心に蓄積していた3~4割、広島原爆800発分が放出されました。その結果、「放射線管理区域」に指定しなければならない程の汚染を受けた土地の面積は、日本の本州の6割に相当する14万5000km2になりました。「放射線管理区域」とは「放射線業務従事者」が、仕事上どうしても入らなければならない時だけに限って入る場所です。普通の人々がそれに接する可能性があるのは、病院のX線撮影室くらいしかありません。しかし事故の影響もあり、ソ連は1991年に崩壊してしまい、特に汚染の激しい地域(15キュリー/km2以上)から約40万の人が避難させられただけで、残りの500万を超える人々は子供たちも含めていまだに汚染地域で生活しています。しかし、生まれ育った土地を捨てて避難した人たちは、今度は生活自体が崩壊してしまいました。
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続く


猛獣王S
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