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このブログで議論すべきことは?

「悪玉はたばこ?それとも人口物質?」
非常に気になるお題です。
私は、学生時代は喫煙していましたが、就職してほどなくたばこをやめ、もう20年ほど喫煙はしていません。

禁煙の一大決心をしたわけでも、健康上の問題からタバコを止めたわけでもなく、むしろ、学生時代にタバコ代がかかるので買わなくなり、それがきっかけでやめたまでの話です。私にとってのタバコとは、若い一時期のカッコつけのようなもので、実際のところ必要欠くべからざるものではなかったのです。
しかし、世の中では実に多くの人がタバコの恩恵に預かっているし、それは、太古の昔から連綿と続いているという事実もあるわけです。

では、タバコの効用や人体への影響、ガンとの因果関係などが、嫌煙者と喫煙者の価値対立という構図から離れた次元で、現在いったいどうなっているのかを純粋に追求することは、今だからこそ非常に重要なことだと思います。

というのは、タバコの議論には、常に価値対立や権利の主張といった、「事実」と次元の異なる観念が混入し、正確な知見や情報を見えにくくしていると思うからです。

>・・・・常々思うのですが、健康問題を云うなら喫煙問題と同時にマイカー(生産車数<個人車数だろう)の排気による大気汚染を問題にすべき事です。大気を吸って生きている生物は、大気汚染の方が遥かに重大問題です。しかし喫煙が許されずマイカーが許されるのは、女性や家庭それに屈した男達の車社会の肯定視です。環境運動でよく言われる割り箸運動やリサイクル運動等と同質の本末転倒の論理(過剰消費を肯定しての小手先の環境意識)で有って、本当の原因追求に至らないところです。・・・・

などと価値論争を展開しておられます。私は、すこし乱暴な議論に感じました。排気ガスの問題も重要ですが、今や車は運輸や流通、娯楽などを通して、現代社会に必要不可欠なものになっています。一方、タバコは個人の嗜好の問題であり次元が違うと感じます。

私は、論争(対立)の根本原因は、喫煙者と嫌煙者の共存を共認原理で解決しようということでなく、加害者と被害者の権利という図式で解決しようとするために、裁判の判決のように実感からかけ離れた「理屈」に収束し、エスカレートしていっているのだと思うのですが。

できれば、医学や科学面の知見、あるいはそれが正確に伝わらない原因分析、モラルや価値論からのアプローチなどを明確にして議論できればと思います。


星埜洋
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