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「科学技術は敗北した」という事実を認められるか、それとも科学技術と心中するか

人間は自然の一部であり、自然の摂理の中でしか生きていくことはできない。そして、科学技術は人間が生み出したものである以上、「科学技術は敗北した」などという命題にはもともと矛盾がある。

しかし、科学万能論が決定的な誤りであり、科学技術を信奉した結果人類が滅亡しようとしている現状を思えば、そうした言葉で目の前の事実をきちんと固定し総括しておかなければ、この先人類の命運は尽きる。このまま科学技術と心中するわけにはいかないのである。

以下、「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと・山本義隆著」より引用する。

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 経験主義的にはじまった水力や風力あるいは火力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生み出された。実際、これまですべての兵器が技術者や軍人によって経験主義的に形成されていったとの異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから導き出された。原子炉はそのバイプロダクトである。その意味では、ここにはじめて、完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる。しかし理想化状況に適用される核物理学の法則から現実の核工業-原爆と原発の製造-までの距離は極限的に大きく、その懸隔を架橋する課程は巨大な権力に支えられてはじめて可能となった。その結果は、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティの許容範囲の見極めを踏み越えたと思われる。

(中略)

 三月十一日の東日本の大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という十九世紀の幻想を打ち砕いた。今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることの無い核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは、本来、人間のキャパシティを超えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。

 先に引用した米国における廃棄物処理の現状は『ラベッツ博士の科学論』という書からのものであるが、その著者イギリスの科学史家ジェローム・ラベッツは「科学に基礎を置くわれわれの産業文明全体は、回避しようにもすでに手遅れかもしれないような壊滅的な結果をもたらし、われわれの住む社会を台無しにしている、はっきりした兆候を示している」と冒頭に語っている。原発の危険性を指摘したGE社の技術者ブライデンボーの語ったように「われわれには、原子力発電のようなゼイタクをしている余裕はない」のである。一刻もはやく原発依存社会から脱却すべきである。
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(引用終わり)



鈴木隆史
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