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東電 供給計画に“原発増設”・・・・

信じられないニュースが飛び込んできた。
もうあきれ返るばかりだ


東電 供給計画に“原発増設”
4月2日 19時43分
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リンク
 
福島第一原子力発電所の事故による深刻な状況が続くなか、東京電力が、国に提出が義務づけられている電力の「供給計画」に原発の増設を例年どおり盛り込むと福島県に伝えていたことが分かりました。県側は「県民感情を逆なでする」として強く反発していますが、東京電力は「震災前に取りまとめた計画で、影響を反映させることができなかった」と説明しています。

電力会社は、今後の電力需要の見通しや、新しい発電所の建設などを示した「供給計画」を毎年3月末までに国に提出するよう電気事業法で義務づけられていて、東京電力は平成7年度から福島第一原発の7号機と8号機の増設計画を盛り込んでいます。福島県によりますと、第一原発で深刻な状況が続いていた先月26日に、新年度の供給計画にも例年どおり7号機と8号機の増設を盛り込むと東京電力側から伝えられていたことが分かりました。これに対し、県側は「事故の影響が広がるなかで県民感情を逆なでする」として強く反発しています。東京電力の供給計画は、法律に基づいて先月31日に7号機と8号機の増設計画を盛り込んだまま国に提出されましたが、資源エネルギー庁は「震災の影響が反映されていない」として公表を見送っています。福島県の野崎洋一企画調整部長は、「最終的に供給計画に盛り込まれたかどうかは確認していないが、事実だとすれば憤りを感じる」と話しています。NHKの取材に対し、東京電力では、「計画は震災の前に取りまとめたもので、影響を反映させることができなかった」と説明しています




きっちょむ
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高速増殖炉「もんじゅ」の事故に関する基礎状況把握


「もんじゅ」は福井県敦賀市にある熱出力71.4万kWのナトリウム冷却高速中性子型増殖炉である。「もんじゅ」は1995年にナトリウム漏れ事故を起こしているが、また、新たな事故が発生した。

◆事故概要
2010年8月に、直径46cm、長さ12m、重さ3.3トンの炉内中継装置が、つり上げ作業中に落下する事故が起きた。事故現場は目視で調べることができないが、落下の衝撃で装置が変形し、原子炉容器の穴に引っかかっているとみられ、装置が原子炉容器から抜けない状態になっていることが判明した。そのため現在は、運転開始が見込めない状況である。装置の吊り上げ作業も試されているが、24回行って未だ成功していない。作業に関わる部署の課長が自殺している。

◆非常に危険な状況である「もんじゅ」
現在、運転は停止されている増殖炉は、ナトリウムによる冷却が行われている。今後、中継装置を取り出そうとして、原子炉を開放すると、ナトリウムが空気と反応し、爆発してしまう。
しかし、その危険なナトリウムを抜き出してしまったら、冷却が行われなくなり、原子炉内のプルトニウムが暴走してしまう。

◆エネルギー開発と技術
いずれにしろ現在の「もんじゅ」が抱える問題を解決する方法は無く、成すすべなしという状況である。ひとたび「想定外」の問題が発生してしまうと、解決するすべがない技術は、本当に人類にとって必要な「技術」なのであろうか。
人間の能力からかけ離れた技術が、人類にとって必要かどうかを、今後のエネルギー利用では考えなければならない。



小熊耕平

原発行政の裏側⑥~学者集団と梅沢三兄弟の巨大な閨閥-4~


『腐蝕の連鎖―薬害と原発にひそむ人脈―』(広瀬 隆 著)~第4章 学者集団と梅沢三兄弟の巨大な閨閥~ リンク よりの引用です。

以下引用
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 日本では、戦争犯罪者が過去の罪をいささかも反省せず、ほとんど追及もされなかったため、彼らが戦後も羽を伸ばし、権威者として君臨することになった。むしろ彼らは、戦争犯罪の追及に牙をむいて反撃するほどである。その"立派な教え"を受けた家庭の中で増長した者が、親から戦時中の利権を受け継いだため、同じような罪を踏襲してきたことは間違いない。

 この審議会や評議会が政策を認知すれば、「責任はそちらに移る」というのが狡猾な官僚の計算であろう。そこにぞろぞろやってくる学識経験者は、中央公害対策"審議会"が発足して、その会長に学術会議会長の和達清夫を据えたように、大学や学会の肩書きをいくつもかかえた人間のことで、彼らは、国から審議会メンバーとして認めてもらえば、さらに肩書が重くなり、年老いて勲章まで約束されるようになる。勲章とは年金のことである。

 つかみあいとなって、テーブルが倒れ、灰皿がとんで、収拾がつかなくなったという話は、日本の審議会では聞いたことはない。たとえ何万人、何百万人の生命が危機にさらされようと、結論が変らないように、結論を変えない穏やかな人間を集めたものが、審議会と評議会だ。穏やかとはいっても、学識経験者や文化人の側にも、はっきりした腹黒い利権の目的があり、官僚と阿吽の呼吸によって、互いにそこで意思の疎通をはかる。裏金が動く。

 代表的な財団法人・地震予知総合研究振興会の評議員メンバーであり、明治40年(1907年)生まれの東大教授・金井清が提唱した金井式によって、日本ではすべての耐震性が計算され、設計されてきた。

 現在使われている金井式は、40年ほど前の金井論文が報告したグラフをもとに組み立てられ、66年に書き直されたものだ。

耐震性の計算の元になる式が、そもそも事実とまるで合致しない、誤った理論にもとづいて成り立っている。きわめて水準の低い学問から出発していながら、それが日本で最高権威となり、この金井式が、原子力発電所の設計に使われているのである。

 96年現在、科学技術庁原子力安全調査室の吉岡賢治は、金井式を使って計算すると、神戸大学工学部で想定される兵庫県南部地震の最大速度は、18.4カインだという。ところが昨年の兵庫県南部地震では、その地点で実測された最大値は、55.1カインであった。実際には、計算値の3倍の揺れが発生したのである。

原発を10基かかえる福島県の大熊町文化センターで、国が主催した「原発の耐震安全性フォーラム」が開かれた。そこにも登場した渡部丹は、住民側からその衆議院会館での重大発言を質問され、さすがに言い逃れをすることができず、「昔のデータを使っている金井式は、早くほかのものに変更すべきだ」と、多くの聴衆を前に発言したのである。これは、共同配信の記事をもとに、全国に報道されている。
 この誤った金井式を使って、日本全国の原発が建設され、六ヶ所村の核燃料サイクル基地が建設され、冒頭に述べたように、いよいよ全国の使用ずみ燃料が、危険なプールに持ち込まれようとしている。これが、96年末現在の状況である。

 大崎順彦は、この財団名簿では、大崎総合研究所・社長となっているが、渡部丹が清水建設専務取締役だったのと同じく、清水建設副社長の履歴がある。そして、彼が開発した大崎スペクトルと呼ばれる地震動の解析法が、原子力発電所の建設で使われてきた。このスペクトル解析がまた、兵庫県南部地震で証明されたように、まったく現実に合わなかったため、全国で原発の不安がいっそう高まる原因となっているのである。

今から30年ほど前のその時代には、まだ全世界でプレート説が知られていなかった。プレート説が認知されるようになったのは、新潟地震から数年後、69年ごろである。ましてや日本では、その後もほとんどの地震学者がプレート説を無視した。「日本は地震国であるので、地震学は世界一である。アメリカやヨーロッパの素人学者に何が分かるか。地震は、火山活動によって起こるのである」と主張し、日本の多くの地震学者は、地球上で日々進歩する科学を採り入れなかった。

 このような日本の地震学者の傲慢さは、やがて、世界の各地で大地震が発生してプレート説が着実に証明されるたびに、ひっくり返された。

 特に日本では、直下型地震の精密なデータが得られたのは、95年1月17日、兵庫県南部地震(阪神大震災)が初めてだったのである。その貴重なデータでさえ、渡部丹たち検討会の委員が、強引に「原発は安全」の結論を出すためのものに変り果ててしまった。
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以上、引用終り





佐藤祥司

原発行政の裏側⑤~学者集団と梅沢三兄弟の巨大な閨閥-3~

『腐蝕の連鎖―薬害と原発にひそむ人脈―』(広瀬 隆 著)~第4章 学者集団と梅沢三兄弟の巨大な閨閥~ リンク よりの引用です。

以下引用
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「原発の梅澤邦臣と、カナマイシンの梅沢浜夫」の兄弟には、もうひとり長兄の梅沢純夫があった。彼は、明治42年(1909年)生まれで、この三兄弟のなかで、微生物科学研究会の会長となった著名な学者だが、その娘が、中央公害対策審議会の会長・和達清夫の息子と結婚したからである。和達は、明治35年(1902年)生まれで、のち、日本がつくりあげた満州国で大きな力を持ち、日本の気象台に相当する満州現地の中央観象台で所長をつとめ、戦後は、気象庁長官と、"原発に邁進する"日本学術会議会長を歴任した大物だった。

 チッソの創業者・野口遵からはじまる人間関係は、広大であった。野口は曽木電気という電力会社を設立したあと、余った電力を利用して日本窒素という肥料会社を設立した。すでにこの出発点から、化学と発電が同じ人間によって経営されていたことになる。そして野口は、日本がアジアを侵略する新興財閥として朝鮮半島に渡ると、1926年には水力発電をおこなう朝鮮水電を設立後、朝鮮窒素肥料を設立して、両者を合併した東洋一の電力化学コンビナートを建設したのである。

当時、この現場で野口コンツェルンに勤務していた人間の名前として、吉岡喜一、西田栄一、久保田豊、角田吉雄、朝香三郎、宗像英二の6人が記憶されなければならないだろう。
 吉岡と西田は、のちにそれぞれ水俣病大量発生時に、水俣工場の排水口から水銀の放流をとめなかった日本窒素の「社長」と「水俣工場長」として、最高裁で有罪が確定した。
 すでに登場したように、久保田豊と角田吉雄は、薬害エイズを放置した83年の厚生大臣・林義郎の身近な一族であり、特に久保田は、戦後も日本のアジア経済侵略の代表者として、アジア各国に膨大な借金をつくらせた人物でもあった。朝香三郎は、これもすでに述べたように、危機管理の第一人者・佐々淳行と、満州事変時に内務大臣として弾圧をおこなった安達謙蔵の身近な一族である。
 1931年に関東軍によって満州事変がひき起こされたあと、野口遵は 中国大陸北部へ進出し、満州の利権にも介入していったが、当時、満州国の商工次官をつとめて水力発電事業の責任者であった岸信介と折衝して、満州~朝鮮の共同水利開発の条約を締結することに成功した。このころ、満州の産業を支配していたのは、満州重工業の初代総裁となった鮎川義介であり、彼ら三人はライバルというより、互いに利権をあいだに置いて、協力的な関係にあった。
 しかも鮎川義介のごく近い一族が、のちに総理大臣となった岸信介当人である。しかし、さらに近い一族が東急電鉄の五島昇であり、この五島昇の親友が、はかならぬ「エイズ研究班班長」の安部英であった。あらゆることが、戦時中に仲間となった人間関係から生まれてきた。- - - 内務省特高警察を指揮していた正力松太郎と、東急電鉄創業者の五島慶太は、東京帝国大学法学部で同期であった。この五島慶太の息子が、五島昇である。

 この鮎川義介の義兄弟として、やはり満州・朝鮮の大きな利権を握っていた久原房之介が、日立製作所の創業者であった。三菱重工、東芝と並ぶ、今日の原子炉メーカー "御三家"のひとつである。鮎川義介、岸信介、久原房之介、正力松太郎たちが、いずれも戦後に戦犯として巣鴨刑務所に入獄した仲間であるのは、このような親しい関係では当然であった。また、彼らに比べて一世代あとのもうひとりの人物、中曽根康弘の場合は、鹿島建設会長・渥美健夫と子供同士が結婚しているが、渥美健夫の弟・渥美昭夫の義父・篠原三千郎が、東急電鉄社長として、五島慶太の大番頭であった。

朝鮮現地で野口コンツェルンの中に頭角を現わしたのが、チッソ社長の吉岡喜一らと共に働いていた前述の宗像英二であった。
 宗像は、戦後、財閥解体と共に日本窒素から分離した旭化成の重役に一度転じたあと、チッソの野口研究所で理事長として君臨したが、この時こそまさに、チッソの排水口から水銀が放流され続け、水俣病がすさまじい勢いで被害者を発生した時代にあった。その宗像が、やがて、68年には、別の世界でトップの座についた。日本原子力研究所(原研)の理事長となって、原子力時代を動かしはじめたのである。

 水俣病と大気汚染公害など、あらゆる影を背負って、その内部から原子力発電所が誕生してきた。また、その影を背負って、薬害エイズが誕生してきた。それが、岸信介、鮎川義介、久原房之介、武田長兵衛、宗像英二、五島昇、中曽根康弘へとつながる一族を中心として生み出されたものであったことが、系図から見事に浮かびあがってくる。
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引用終り(つづく)



佐藤祥司

原発行政の裏側②~六ヶ所村と官僚の犯罪~

『腐蝕の連鎖―薬害と原発にひそむ人脈―』(広瀬 隆 著)~第3章 六ヶ所村と官僚の犯罪~
リンク より

以下引用
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 六ヶ所村のプールは、これから、全国の原子力発電所からその膨大な量の使用ずみ燃料を集めて、水中に沈めてゆく。今までは、日本の電力会社がイギリス・フランスに送っていたが、その委託した契約量がほとんど終わりに近づいてきた。そのためもうイギリス・フランスには送れない。あとは戻ってくるだけ。それが電力会社の状況だ。

 そして日本全国に50基ある原子炉では、発電所内のプールが満杯に近づいている。そのため、発電したあとに取り出した、高い放射能の使用済み燃料をできるだけ早く外に持ち出したい。自分のところに抱えているのは危険なので、どこかに持って行ってほしい、という要請を出してきた。
 こうしてこの危険物が、青森県・六ヶ所村にやってくることになった。

大地震があれば、プールはコンクリート製であり、そこにばりばりと亀裂が入れば、水が抜けてゆく。また原子炉には制御棒があるが、使用ずみ燃料プールには制御棒がないので、万一の臨界反応(核分裂反応)の暴走という危険性が潜在している。いずれの場合にも、使用ずみ燃料が出す巨大な熱によって、燃料が灼熱状態になり、メルトダウンを起こしはじめる。原発を何十基もまとめた事故であるから、チェルノブイリ原発事故とは比較にならないほど大きな地球規模のカタストロフィーになる。

 三陸はるか沖地震による破壊の状況は次のようであった。
 最初私たちは、港の岸壁が波に洗われているコンクリートの大きな破壊物を目にして、それだけで驚いた。割れて砕けたコンクリートに大きな波がかぶって、そこから海水が流れ落ちてくる様は、日光の竜頭の滝のようであった。ところが、次第に、その破壊のメカニズムと意味が分かってきた。この破壊現場のほぼ半分は、すでに工事によって元通りに修復がおこなわれ、その工事業者がクレーンなどを使って必死の"原状回復"をしている最中だったからだ。

 ここは、主に六ヶ所村海水漁協が使っている漁港であり、原子力のための港ではない。そこに原子力産業の工事現場から、雪どけを待って急いで工事関係車がやってきたことになる。明らかに、原子力産業にとっては誰にも見られたくない地震による破壊現場だった。必死で復旧工事を進めていたのは、そのためだ。
 電力会社は、しばしば活断層を隠すが、実際に発生した地震の被害もこのようにして隠すのである。核燃料サイクル基地近くで発生した大地震による漁港の破壊は、青森県や六ヶ所村、あるいは日本の国家としての責任者である建設省などが、国民に対して誠実に報告するべき義務がある。

六ヶ所村の再処理工場の敷地には、「f 1」、「f 2」と命名された二本の断層が走っており、後述するように、それを日本原燃は隠していた。通産省と科学技術庁の技官や審議官がその事実を知りながら、隠すよう日本原燃に指示を与えていたのだ。「活断層」の疑いが高かったからである。その二本のうち「f 2」断層は、高レベル廃棄物の貯蔵庫の至近距離にあり、右側(東側)を走って、「f 1」断層と合流していた。

 今、青森県内では、地元のテレビ・コマーシャルにさまざまな芸能人を動員し、電力会社と国が、「六ヶ所村の岩盤は強固です」と宣伝している。TBS社長室理事のポストから青森テレビに出向し、のちこのテレビ局の取締役・常務へと出世していったのが、評論家・木元教子の夫・木元尚男である。

通産省の工業技術院・地質調査所の衣笠善博という技官が、今から8年前に六ヶ所村を視察した記録である。衣笠は「今の状況証拠だけでは、第三者から活断層と言われたら十分説明できない」と内部文書の中で喋っている通り、日本原燃に入れ知恵して、六ヶ所村に走っているのは危険な活断層と知りながら、ごまかすよう示唆を与えているのだ。この問題については、国会の科学技術委員会で追及がおこなわれた当時の記録がある。
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引用終り(つづく)




佐藤祥司